[レポート]メンタリングサロン 2022年2月8日(火)

今日のメンタリングサロンは、リモートとリアル参加の混合開催でした。

Mac book Proの拡張ボードにフルフル線を繋ぎ、セッティング。他にもスマホで別途ZOOMに入り、手元も映しながら対話を進めていきました。

「凡庸という悪魔」

私が手に取ったのは、以前にも読んだのですが、藤井聡さんの「凡庸という悪魔」( https://amzn.to/3ovPCly
ハンナ・アーレントさんがナチスドイツで起きた現象を分析して辿り着いた「全体主義」という概念を、近年の新自由主義、学校のイジメなどの状況で起きていることと併せて解説した書籍です。とっても平易な文章なので分かりやすいです。
分かりやすいですが、読後感は「怖っ」です。

社会全体が暴力に走る時、それを実行するのは凶悪な人ではなく、普通の凡庸な人によって実行される。その行き着く先は、自らの社会の破壊。
凡庸な人の本質は、空っぽの人間。中身がないが故に、自らが生きることのみに執着し、保身と、権力と空気に迎合する。そして、迎合しない人間を暴力で排除していく。但し、そこには目指す信念も、目的もあるわけではない。あるのは多数に合わせるという保身のみ。

全体主義と混同されがちなのが、共同体。
全体主義は、空っぽであるが故に多数と合わせなければ存在価値を見いだせない人のなれの果て。
一方、共同体は違いはあっても同じ仲間だよね。という心ある集まり。決して、同じことを強要する集団ではない。

多様性を認める、という考え方があるが、心ない人の言葉は社会を混乱へと導く。そして、行き着く先は虚無。
逆に、人の考え方や情報を取り入れたとしても、それを心と手足で自分の身体感覚へと落とし込んだ人の言葉は、社会に豊かさをもたらす。

政治の世界ではポピュリスト(大衆迎合主義)というものが忌避されますが、ここでいう大衆とは凡庸な人達のことであり、一般庶民という意味ではない。
政治家や学者などのいわゆるエリート層にも凡庸な人が居る。凡庸とは空虚な人のことであり、知識の多寡ではないから。
民衆の声を聞くからポピュリストではなく、民衆側に付こうが権力側に付こうがポピュリストはいる。

「心を燃やせ!」

昨年、鬼滅の刃で流行った言葉ですが、心は燃やせばエネルギーになるし、人の心を受け取る器にもなる。心を育てることは、体を満たしていくことであり、凡庸に陥らない方法でもある。
戦いは避けるべきものではあるが、あくまでも戦う、戦わないは手段の話であって、戦わないことは目的にはならない。目的の為に、戦わないで済む方法をまず検討するが、最終手段として他の選択肢がないなら、戦うしかない。
そうならないように孫子の兵法では、戦わないことを最上の手段としているのではないかと思います。戦う覚悟を持って戦わない。

これらの気付きは、他二冊、ならびに参加者の方との対話によって辿り着きました。改めて感謝申し上げます。
・他者と生きる( https://amzn.to/3rzXtk6
・ドラッカースクールのセルフマネージメント教室( https://amzn.to/3HCVuRx

次回は、3月8日(火)開催。「興味ある」とコメントを頂ければ嬉しいです。個別にご案内します。

PS: この文章を書いていて、虚無という言葉を書いたときにふと、ネバーネンディングストーリーを思い出しました。ミヒャエルエンデ「果てしない物語」を改めて読んでみたいと思います。

参加者の感想

来月のメンタリングサロンは、2022年3月8日(火)

申込み、詳細は、こちら↓ページから
少人数での開催ですので、満席の場合は次回以降の回をお申し込みください。

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